阪神・淡路大震災から生まれた
希望の歌を未来へ
臼井真メモリアル

偲び、うたいつぐ

2026年11月8日(日)

2026/10/12

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 「この歌を歌う時は自分が持つ一番綺麗な心で歌って下さいね。『亡くなった方々の分も』の言葉のところは胸の前で手を合わせるような気持ちで歌いましょう。・・・・」

 2011年3月11日東日本大震災発災時、福島県中通りに位置する二本松市で小学校教諭であった私は教育現場の急激な変化の中、児童が急に置かれた得体の知れないぎゅっとした心情から何とかして救う為に、私がやらねばならないことは何であるのかとそればかり模索していました。その時出逢った歌が阪神・淡路大震災復興曲『しあわせ運べるように』ふるさとバージョンでした。

 『地震にも負けない』から始まるこの歌を当時の私はそのストレートな歌詞を素直に理解する力がありませんでした。しかし、この歌を歌う児童の姿を感じた時、指導者の私の範疇で判断するのでは無く、神戸の方々を支え続けるこの歌をお借りして福島の血の通う子どもの心の復興を目指すことこそが今の私がすべき事であると判断したのでした。上記の言葉は2013年夏、歌を歌い始めた福島県二本松市立杉田小学校合唱部の児童へ直接語りかけた臼井真さんの言葉の一部です。

 東日本大震災が福島にもたらした現実は、人間のあらゆる感情をむき出しにしました。その中に位置した教育現場において、震災に向き合う行動は危ういものでもありました。臼井さんの来福は、『今は苦しいかもしれないが、いまその教育は未来への間違いの無い教育活動なのですよ』と私達をそっと支えて下さる大切な尊い時間となったのでした。

 臼井さんとの交流が続く中、山古志のみなさんが同じ歌を歌い継いでいることも伺いました。臼井さんは『“やまこし”という4音を“こうべ”という3音にどのように入れるか迷ったこと』『東日本大震災で苦しむ方々の為に“ふるさとバージョン”を新たに考えたことが“やまこし”の4音を入れることが容易になったこと』『“ふるさとの街に”の歌詞は本来なら町という概念では無く、人々の繋がりを意味する街の概念であるが、交流した山古志の子供達は山古志の村に🎵と歌うことに強い希望がある。これは市町村合併と深く関係しているから山古志の方々の感情がとても理解できること』等を私にも話して下さいました。山古志さんへの臼井さんの想いを伺う度に私は臼井さんがその深い想いを被災なさったたくさんの方々へ同じように向けていらっしゃるんだろうなと感じました。

 私は団員と何度も山古志に伺いました。そこには臼井さん録音した(しあわせ運べるように山古志バージョン)のカセットが一つありました。小学生が歌う山古志バージョンは臼井さんが私にお話し下さったように四分音符3つにやまこしの音4つを入れた歌い方でした。しかも低音が現在のものと異なっていました。更にカセット音源の初めにほんの少しですが臼井さんの言葉のかけらが録音されていたのです。恐らく上記のように、新潟の地震が発災した当時、臼井さんが担当していた児童にお話をして、神戸と同じように地震で苦しむ方々に歌を届けましょうとの話を加えて録音したことが容易に想像できました。現在は四分音符4つにやまこしの音4つを入れた歌い方でみなさんは歌い継いでいて、私はこの歌が臼井さんの想いを深く認識しながら山古志の方々の復興への願いをつたわりながら現在にあることを心から感動したのでした。

 今までかつて、これほどまでに長い時期、加えて世界中に広がり人々を支え続けている歌があったでしょうか。臼井さんの訃報は私はまだ実は信じることが出来ないままこの文章を綴っています。歌を広げるために団員と歌い続けてきた訳ではなく、この歌を通して震災に生きる方々の姿を団員に学ばせて、未来を開拓する力を持たせることが私のこの歌を歌い続ける意義でした。しかし今ここに至る時、団の新たな使命は何なのでしょうか…、また、震災後小さかった団員にこの歌を歌わせ続けてきた今の私がやるべき事は何なのでしょうか…。それをずっと考え続けています。

佐藤敬子 福島県二本松 子どもに音楽を贈る会 福島しあわせ運べるように合唱団 代表

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